医学教育2024,55(2): ~0 特集 インクルーシブ教育を考える 【5.医学部教育におけるダイバーシティ推進】 5-2.順天堂大学医学部の取り組み: ろう・難聴者への医療提供から得る学び 武 田   裕 子*1 大 杉   豊*2 要旨:  順天堂大学では,健康格差の社会的決定要因(social determinants of health: SDH)教育の一環として,ろう・難聴者への医療の現状を学び,医療者に求められることを考える選択実習(基礎ゼミ)を医学部3年次に行っている.2022年,23年には,ロチェスター大学医学部が行っているロールプレイ体験実習「Deaf Strong Hospital」に着想を得て,「手話の病院」を実施した.それに伴い,手話言語やろう文化を知る機会を設けている.医療へのアクセスを阻害するSDHを見出すのみならず,それまで気づかなかった内在する思い込みや偏見に学習者が気づく,変容的学修となっている. キーワード:ろう・難聴者,健康の社会的決定要因(SDH),体験学習,変容的学修 5-2. Enhancing Medical Education for Deaf and Hard-of-Hearing Patient Care: A Case Study at Juntendo University’s Faculty of Medicine Yuko Takeda*1 Yutaka Osugi*2 Abstract:  At Juntendo University, we offer an elective program for third-year medical students to explore social determinants of health (SDH). Among the topics is ensuring healthcare access for deaf and hard-of-hearing patients. We have implemented role-playing in outpatient clinic scenarios to simulate language barriers. In these role-plays, individuals who are deaf or hard of hearing and use sign language take on the role of healthcare professional, while the students assume the role of patient. This original program was developed by the University of Rochester School of Medicine and Dentistry. Through participation in the program, students learn sign language and deaf culture while having a transformative learning experience that helps them recognize unconscious biases within themselves. Keywords: deaf and hard-of-hearing people, social determinants of health (SDH), experiential learning, transformative learning はじめに  順天堂大学医学部では,2020年から,臨床実習を開始する直前の4年生に「やさしい日本語」演習を行っている.外国人模擬患者として留学生の協力を得てロールプレイを行う体験学習となっている1).当初,「やさしい日本語」は,日本語を母語としない外国人診療に役立つツールとして捉え普及を図っていた.さまざまなところで研修を重ねているなかで,あるとき手話言語通訳の方から,“医療者が「やさしい日本語」で話してくれると,通訳しやすい”という言葉を頂いた.そして,「手話言語」が独自の文構造や文法を持ち,音声言語である日本語とは異なる視覚言語であること,ろう者が医療機関受診の際に多くの困難に遭遇していることを知った.  「できれば・・・してほしい」といった医師のあいまいな表現や,症状を表す擬音語・擬態語がろう者には理解しにくいことを認識できていなかったり,また,ろう者とのコミュニケーションは筆談で十分と考えたりする医療者は少なくない.「利き手に静脈路を確保されて困った」というろう者の体験談や,「レントゲン写真を指差しながら医師に説明されると,ろう者は,手話言語通訳とレントゲンの両方を一度に見ることができないためさっぱりわからない」という手話言語通訳者の話を伺い,医療者教育のなかでろう・難聴者への医療提供について全く教えられていなかったことに気付いた.そこで,対象学生は6名と限定的ながら,基礎研究室配属という6週間の選択実習「基礎ゼミ」の中で2022年から,取り組みを開始した.本稿ではその実践について報告する. 1.Cinemeducaiton  映画を活用した医学教育をcinemeducationという.共感力を高める効果があるといわれている2, 3).2022年度のゼミでは,当時ちょうど公開されたばかりの日本映画『私だけ聴こえる』を映画館で視聴した.ろう者を両親に持つ耳の聴こえる子どもたち,コーダ(CODA: Children of Deaf Adults)を取り上げている.それまで接点のなかったろう者の日常が描写され,CODAである子どもたちの置かれている世界の両方を垣間見ることのできる映画であった.上映会後には,映画監督と1時間にわたり映画について質疑応答の機会を得た.ヤングケアラーとしての体験を映画に重ねる学生もいれば,「聴こえる」ことがマイノリティ性につながる描写に驚く学生もいた. 2.ろう者から学ぶ講演会の開催  アクティブ・ラーニングとして,ゼミ生がろう者を招いての講演会を企画・開催した4).東京都聴覚障害者連盟に相談し,唯藤節子副会長を招き,ろう者から見た医療機関の現状や医療者に臨む対応について伺った.オンラインでのハイブリッド開催となったが,手話言語通訳を配置しての講演会は,質疑応答において,発言する際には最初に名前を名乗る,通訳が終わってから話し始めるなど,初めて知ることばかりであった.講演会では,入院前日の連絡方法が電話だけでは一人暮らしのろう者は困るという指摘がなされ,附属病院順天堂医院のあり方を見直すことにつながった.当事者の体験から学ぶことで,心が動き,行動したい思いになることを実感する機会ともなった. 3.「手話の病院」の実施  本特集でも取り上げられているロチェスター大学医学部で実施されている,ロールプレイを用いた体験学修「Deaf Strong Hospital」に着想を得て,「手話の病院」を企画・実施した4).ろう者が受付や外来担当医,薬剤師として,患者として受診する医学生に音声ではなく手話で説明するというものである.  2022年,2023年とも筑波技術大学の教員や大学院生,研究生(全員ろう者)が中心になって医療者役を担当した.シナリオはオリジナルなものを用意した.準備や振り返りのディスカッションには,手話言語通訳者の協力を得た.この時の様子は,YouTubeで公開しており,ここに示すQRコードから視聴いただける.  ロールプレイで患者役となった学生たちには,言葉が通じないことからくる不安,説明が分からないと何度も尋ねるよりも適当に返事をしてその場から立ち去りたくなる気持ちなど,患者の立場になって初めて得られる気付きがあった.さらに,その不安の中で手話言語通訳者が現れたときの安堵感は,通訳者の重要性と必要性を身に染みて体験するものであった. 4.手話言語教室  「手話の病院」を体験するに先立ち,最低限必要な手話を覚える勉強会を開催した.ろう者の方に講師をお願いした.五十音や数字,挨拶,自分の名前など簡単な手話であったが,例えば「順天堂」という固有名詞は,地域や話者によっても異なり,新しい表現が生まれることもあるなど,手話言語が生きた言葉であることを実感した.  2023年度のゼミでは,事前に手話を学ぶ時間数を多く取ることができた.「手話の病院」のロールプレイにおいて,学生たちが医療者役のろう者と向き合ったときに,2022年度のゼミ生たちは,学生同士で伝え方を相談することが多かったが,2023年度のゼミ生たちは,何とか相手の手話を読み取ろうとろう者の方を向いていたというコメントを,見学していたろう者の方からいただいた.聴者である筆者(武田)は全く気付かないことであった.  手話言語教室で手話を学んでいるときのこと,講師であるろう者が,「聴者だけで会話をされると取り残された気がして寂しくなる」と話した直後の練習で,学生が自分たちだけで盛り上がってしまったことがあった.講師が輪に入っていないことに気付いたゼミ生は,「自分たちだけはそんな思いをさせることがないようにしようと思ったのに,すっかり忘れてろう者を取り残してしまった」と,自分たちが簡単に抑圧する側になりうることに衝撃を受けていた.  また,週末に京都に旅行したという講師からお土産話と一緒にお菓子をいただくことがあった.一人の学生が「ろう者も自分たちと同じように楽しい人生を送っているんだと気付いた」と述べた.ろう者を障害者という括りでとらえ,“つらい日々を送っているかわいそうな存在”というステレオタイプのイメージを抱いていたことに気付いた瞬間だった. 5.「対話の森」ミュージアムのツアー参加  東京都竹芝に,ダイアログ・ダイバーシティミュージアム「対話の森」がある.ご紹介いただき,2022年のゼミでは音のない世界を体験する「ダイアログ・イン・サイレンス」に,2023年には完全に光を遮断した漆黒の暗闇のなかで,視覚以外の感覚を用いて自分の居場所を感じ,コミュニケーションを試みる 「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」に参加した.  「ダイアログ・イン・サイレンス」ではろう者が, 「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」では視覚障害者が案内人を務めて先導するプログラムであった.ここでも学生たちは,「障害」の意味について自らの理解を問い直すこととなった. おわりに  医学教育モデル・コア・カリキュラム(令和4年度改訂版)5)では,直接間接に健康を左右しウェルビーイングに影響する「健康の社会的決定要因(SDH:social determinants of health)」の教育を必修としている.健康格差は,SDHによってもたらされる6).筆者らは,SDHを見出し,働きかけることのできる医師の育成を目指して様々な教育に取り組んできた7).前ページ図は,健康格差の要因となる社会的文化的背景を示したものである8).当初,ろう者に生じうる健康格差は,言語特性により,医療機関受診の際に十分なコミュニケーションがなされないことから起きると考えていた.しかし,学びを始めて,豊かな「ろう文化」を全く知らなかったという反省とともに,ステレオタイプな枠組みの中でろう者をとらえ,知らず知らずのうちに抑圧する側になりうることに気付いたのは学生だけではなかった.自分たちの中に偏見などないという思いがありながらの気付きは痛みを伴い,変容的学修を促すものであった.  「手話の病院」を体験した学生たちによって,昨年,手話サークルが立ち上げられた.ごく短期間に手話言語に接しただけであったが,ろう者から得た学びが学生にもたらした影響は大きい.本特集では,鳥取大学における長年にわたる手話言語教育が紹介されているが,そこでも地域居住のろう者が大きな役割を果たしていることが紹介されている.全日本ろうあ連盟の加盟団体は全国に存在する.全国の医学部で,地域医療教育やコミュニケーション教育など既存のカリキュラムのなかで,ろう者の体験に耳を傾け,手話言語に触れる機会を持つことを強くお勧めしたい.  順天堂大学でも,これまでゼミの中だけで実施してきた「手話の病院」を,2025年には必修として学年全体で実施することを検討している.奇しくも東京デフリンピックが開催される年である.自分が知っていること,感じていることはごく一部であるという自覚をもって,学びの提供を続けたい. 謝 辞  本稿で報告した教育実践を可能にしてくださった皆様に感謝いたします.特に,全日本ろうあ連盟と東京都聴覚障害者連盟ならびにダイアログ・ダイバーシティミュージアム「対話の森」のご関係者には多大なご協力をいただきました.これらの団体につないでいただくことがなければ,こうした教育プログラムを考えつくことはありませんでした.お名前を挙げることはかないませんが,ご支援とご高配を賜りましたことにこの場をお借りして深謝申し上げます.本研究はJSPS科研費 JP23K24580の助成を受けたものです. 文 献 1) 順天堂Good Health.体感して学ぶ!外国人診療に役立つ「やさしい日本語」の授業を医学部で.掲載2020年11月19日 https://goodhealth.juntendo.ac.jp/pickup/000121.html アクセス日2024年4月1日 2) Kadeangadi DM, Mudigunda SS. Cinemeducation: Using films to teach medical students. J Sci Soc 2019; 46: 73-4. 3) Winter R, et al. Assessing the effect of empathy-enhancing interventions in health education and training: a systematic review of randomized controlled trials, BMJ Open 2020. 4) Good Health Journal. 誰一人取り残さない医療のために.ろう者と医療機関の壁を取り除く順天堂の試み.https://goodhealth.juntendo.ac.jp/social/000285.html アクセス日2024年4月1日 5) モデル・コア・カリキュラム改訂に関する連絡調整委員会.医学教育モデル・コア・カリキュラム(令和4年度改訂版).アクセス日2024年4月1日 6) 武田裕子.格差時代に医学教育で取り組む「SDH(Social Determinants of Health)」とは? 医学教育2019; 50(5): 415-20. 7) 武田裕子, 建部一夫,岡田隆夫.SDHを体験のなかで学び・伝える:順天堂大学医学部の研究室配属選択実習「基礎ゼミ」.医学教育2019; 50(5): 435-43. 8) Snapshot of Elements of Culture. National CLAS Standards. Home - Think Cultural Health (hhs.gov). *1 順天堂大学大学院医学研究科医学教育学, Department of Medical Education, Juntendo University Graduate School of Medicine *2 筑波技術大学,Tsukuba University of Technology 受付:2024年4月16日,受理:2024年4月16日